Novel


プロローグ その手をとって

天意。もしこの世にそんなものが存在するなら、僕たちの決断や選択に一体何の意味があるというのだろうか? 涙を流し選んだ道も、苦悩の末に辿り着いた居場所も、全てが始めから定められ、そうなるべく決められた天意だとしたのなら、一体僕たちの人生にどれほどの価値があるというのだろうか?だから僕はそんなもの信じやしない。天意なんてものは、自分でものを考えられない者達の言い訳で、遠吠えでしかないのだ。
そう、僕は信じない。今まさにこの瞬間、命を奪われそうなちっぽけな僕だけど、だからこそそれは天意なんかではなく、己の未熟、その結果だと信じたいから。
「グルゥゥ〜」
飢えと殺意、そして獲物への優越を、口腔から溢れる液体に存分に漂わせながら、三メートルにも及ぶであろう巨大な魔犬達が確実に僕へとその距離を縮めてくる。僕は震える両手に力を込めた。
ーーちくしょう。何でこんなことに? 情けなくも目尻に涙がたまっていくのを感じながら、僕はただ自身の愚かさを呪った。城下を出て一日と少し歩いた場所にある小さな集落。自然に囲まれたその場所は修行がてら父とよく散策を楽しむ避暑地の一つだった。今年はエルガの奴でも誘おうか、そんなことを考えていた矢先、ある噂を耳にした。その内容はどうも集落を魔犬の群れが襲ったらしいとのことだった。魔犬とは魔獣の亜種。であり、戦闘能力は魔獣程ではないとは言え、それでもその危険度は野犬などと言った動物の比ではない。いてもたってもいられなくなった僕は、すぐに家を飛び出した。できれば父や母に相談したかったが二人とも仕事で今はよその町、国の討伐隊に依頼しても、実際に魔犬を見てもいない僕の依頼では真偽調査や実地調査などでどんなに早くとも討伐隊が動くまでに一日はかかることだろう。それでは駄目だ。遅すぎる。手遅れになってしまう。だが僕なら、僕なら今すぐ駆けつけて集落のみんなを、いつもお菓子をくれるヒム婆ちゃんを、つまらな
くて面白いダンドーのオッチャンを、同い年のエルビスを、みんなを助けてやれることができる。そう思っていた
し、確信していた。集落に着き現状を確認すると、皆が止めるのも聞かずに一人揚々と魔犬の巣へと近づいた。僕はどうしようもない愚か者と言えるだろう。
自惚れていたのだ。どうしようもないほどに。
魔犬は確かにそう強くはないし、過去にも何体か倒したこともある。しかしそれはあくまでも一般的な魔犬の定義であり、中には魔犬から魔獣へとその『格』をあげる奴もいるのだ。それを忘れていた。いや、忘れていたと言うよりも考えなかったのだ。自分の力で皆を救えるという心地よい陶酔感。まさかこんな所にそこまでの魔犬がいるはずがないと言う、どうしようもない楽観。それが僕の瞳を曇らせ、こうして盲目の愚者に相応しい末路へと誘おうとしている。振るわれる死神の鎌さながらに、魔犬達がその身を深く鋭くたわめた。 ーー来る。
逃げ出したい恐怖を噛み殺し、僕は覚悟を決める。せめて一矢。それが
愚かな愚者のせめてもの意地だ。闘気が魔法力となって僕の全身を駆け
巡っていく。それに反応するように魔犬の一匹が咆えた。それが合図。僕
を囲む数体の魔犬達が一斉に飛びかかってきた。ーー速い。とてもその全
てに対応することなど不可能だ。
ーーそれなら。
僕は正眼に構えた剣を振り上げ、ただまっすぐに振り下ろした。魔法力
を帯びたこの剣は魔犬の一匹を確実に屠ることだろう、しかし僕にできる
のはそこまでだ。その後に続く無数の牙を僕は振り下ろした後の無防備な
姿で受けることになり、その結果としてどうなるかなど考えたくもない。
覚悟と悲観。それに押されるように振り下ろした剣先に伝わる、確かな
手応え。そして迫るは獣の顎。
永遠のように引き延ばされる一瞬の中で僕は確かに死を感じ、そして覚
悟した。生れ落ちて八年と数ヶ月。あまりにも短すぎる人生だった。脳内
に様々な感情が入り乱れ、そして駆け巡る。だがそのような思考はすぐに
驚愕へととって変わることになる。
そう、それは余りにも目映い、一つの白い閃光だった。
「え?」
最初、僕はそれが何なのか理解することができなかった。ただ殺される
と思った次の瞬間、世界が突然白で塗りつぶされ、気付いた時には魔犬達
は消え失せ、変わりとばかりに一人の少女が僕の前に立っていた。
やや赤み掛かった栗色の髪にそれを引き立てるかのような見事な紅色の
鎧。その手に握られた白き剣は如何なる汚れも許さない白銀の輝きを放
ち、その頭上には銀と深紅のルビーで構成された冠。少女の海よりも深く
透き通ったその瞳が僕を見た。そして同時に差し出される右腕。少女は優
しく微笑んだ。
「大丈夫?」
そこで僕は初めて自分が尻餅をついていることに気が付いた。一体いつ
の間に?そんな事を考える余裕もない程に、僕は目の前の少女にただ魅と
れた。
差し出されたその手を僕はただ呆然と見詰める。そんな僕の態度を不思
議に思ったのか、少女が首を傾げた。その美しくも愛らしい仕草に、少女
の強くも気高いその立ち振る舞いに、ああ、何と言うことだろうか、僕は
識ってしまったのかもしれない、感じてしまったのかもしれない。人なら
ざる意思を、天上に住まう者達の存在を。
差し出された少女の手を取り立ち上がる。
「僕はアルバ。アルバ・エルバロスト。・・・君は?」
「私は、アメリア。アメリア・ランスロット・ガーネシア」
そうして少女はもう一度微笑んだ。その微笑みを見た僕の胸に一陣の風
が吹く。それは己の使命を知ったものに訪れると言う、神たる天の意を秘
めた風、Divine Wind。
繋いだ手を握りしめながら、この時僕は思ったんだ。

ーー君を守りたい、と。

そうしてこれが全ての始まり。繋いだ手の温もりを感じながら、静かに
激しく、ここから僕たちの『物語』は始まった。
第一章

剣が宙を舞い武技を競うために*えられた硬質の床にその刀身を沈め
る。
「そこまで、勝負あり」
同時に響くは勝敗を決する為の宣告と、周囲にいる者達の感嘆の囁き
だった。
「ほう、まさか・・・」
「ここまでとは」
多重異世界世界アルバロスト。その世界において楯の国と言われる王国
ガーネシア。その王国の顔とも言うべき王城で今宵行われたのは魔王討伐
を目的にした勇者達の選抜であった。
「あれが噂の『雷光』」
「さすがは、あの二人の息子よ」
今なお収まらぬ、勝者への称賛。ここにいる誰もが武と法に生きる強者
達でありながらも、その顔には隠しきれぬ勝者への畏敬の念が浮かんでい
た。
その畏敬を一身に浴びるのは、黒い刀身に白き外刃が備えられた黒白の
剣を持つ一人の少年だった。少年は周囲の称賛などまるで意に介した様子
もなく、静かに対戦相手に一礼すると、闘技場を後にした。暫く歩くと背
後から掛けられる声があった。
「お、丁度良いタイミングね」
少年が振り向くとそこには肩やヘソ、それに背中がよく見える赤い服と
青いジーンズを穿いた身軽な格好の少女がいた。
「おつかれ、アルバ。どうだった?って聞くまでもないか」
少女は両サイドを結んだ金髪の髪を揺らし、屈託のない顔で笑った。